概要

脳がいかに情報を処理し不確実な世界と相互作用するのか、その計算原理をモデル化し、神経システムの計算の失調として神経発達障害の病態を理解する研究を行っている。特に、予測学習の枠組みで感覚刺激の精度(不確実性)を学習可能なリカレントニューラルネットワークをロボットに導入し、感覚精度の過大評価・過小評価が認知行動の異常に至る過程と、その知覚的特性をもたらす各種神経系の要因について検討している。

研究背景

脳の計算原理の仮説の一つであるPredictive processing[1]の考え方によれば、脳は世界に対する階層的な予測モデルを内部に持ち、次に入ってくる感覚刺激を予測している。また感覚刺激の予測と高次の予測の精度を計算し、それらのバランスに基づいて、入力刺激が現在の文脈において重要な情報なのかノイズであるのかを判断しているとされる。近年、この情報精度の推定異常が自閉スペクトラム症を含めた神経発達障害と関わっているとする仮説が有力視されている[2]。
しかし、情報精度の推定異常によって実世界で観察される行動レベルでの症状を説明できるのかについては検証されてこなかった。また、この知覚的特性が学習過程で自己組織化される神経系の要因についても明らかにされていなかった。

提案手法

3つの研究により、神経回路、計算処理、認知、行動といった様々なレベルで蓄積されてきた神経発達障害の知見の橋渡しを試みた(図1)。具体的には、感覚精度の推定異常と行動柔軟性の低下との関係性(研究①)、感覚精度の過大評価をもたらす神経レベルの特性(研究②)、感覚精度の過小評価をもたらす神経レベルの特性(研究③)について調べた。実験では、階層構造を持つリカレントニューラルネットワークを使い、ロボットに実験者とのボールパス交換など、ボール位置に対応した複数の視覚運動パターンを学習させた。学習後のテスト実験では、実験者とのリアルタイムでのボールのやりとりを通じてロボットの汎化能力を評価した。また、実験者がボール位置を変化させたときの反応性・柔軟性も評価した。

図1.リカレントニューラルネットワークとロボットを⽤いた知⾒の橋渡し

研究①では、学習後に感覚精度の過小評価あるいは過大評価をシミュレートし、行動の柔軟性に与える影響を調べた。結果、感覚精度を過小評価しても過大評価しても見かけ上類似した限定的で反復的な行動生成が観察された。一方で、発生プロセスや予測誤差シグナルの大きさには違いが見られ、ロボットの内観としては異なる可能性が示唆された。
研究②では、ニューロンの興奮/抑制アンバランス仮説[3]に基づき、ニューロンの活動性の多様さに着目した。実験では、ニューロンの活動性が多様なモデルと一様なモデルを用意して学習を行い、ロボットの認知行動特性を比較した。その結果、ニューロンの活動性が一様なモデルにおいて過敏なニューロン活動が確認され、感覚精度および高次レベルの予測精度における過大評価が同時にみられた。その帰結として運動のぎこちなさや汎化能力の低下、感覚過敏、認知柔軟性の低下といった様々な認知行動特性がロボットに観察された。
研究③では、興奮/抑制アンバランスとは別に提案されている神経結合の機能的な断裂[4]をシミュレートした。実験の結果、リカレントニューラルネットワークの異なる階層間の機能的な結合断裂によって、感覚精度および高次レベルの予測精度が同時に過小評価され、環境変化に対する過敏性と鈍麻性という一見矛盾する現象が同じロボットに観察された。
これらの一連の研究結果は、神経発達障害の様々なレベルの知見を橋渡すメカニズムを提供し、サブグループの特定や環境調整的な介⼊法を開発する上での理論的な⽰唆を与えるという臨床への貢献も期待される

発表

  • Hayato Idei, Shingo Murata, Yuichi Yamashita, and Tetsuya Ogata, “Paradoxical sensory reactivity induced by functional disconnection in a robot model of neurodevelopmental disorder,” Neural Networks, Vol. 138, pp. 150–163, 2021. DOI: https://doi.org/10.1016/j.neunet.2021.01.033
  • Hayato Idei, Shingo Murata, Yuichi Yamashita, and Tetsuya Ogata. “Homogeneous Intrinsic Neuronal Excitability Induces Overfitting to Sensory Noise: A Robot Model of Neurodevelopmental Disorder,” Frontiers in Psychiatry, 11:762, pp. 1–15, 2020. DOI: https://doi.org/10.3389/fpsyt.2020.00762
  • 出井勇人, 村田真悟, 尾形哲也, 山下祐一, “不確実性の推定と自閉スペクトラム症-神経ロボティクス実験による症状シミュレーション-,” 精神医学, 62(2), pp. 219–229, 2020. DOI: https://doi.org/10.11477/mf.1405206009
  • Hayato Idei, Shingo Murata, Yiwen Chen, Yuichi Yamashita, Jun Tani, and Tetsuya Ogata, “A Neurorobotics Simulation of Autistic Behavior Induced by Unusual Sensory Precision,” Computational Psychiatry, Vol. 2, pp. 164–182, 2018. DOI: https://doi.org/10.1162/cpsy_a_00019

参考文献

  1. Clark, A. Whatever next? Predictive brains, situated agents, and the future of cognitive science. Behav. Brain Sci. 36, 181–204 (2013).
  2. Haker, H., Schneebeli, M. & Stephan, K. E. Can Bayesian theories of autism spectrum disorder help improve clinical practice? Front. Psychiatry 7, 107 (2016).
  3. Dickinson, A., Jones, M. & Milne, E. Measuring neural excitation and inhibition in autism: different approaches, different findings and different interpretations. Brain Res. 1648(Pt A), 277–289 (2016).
  4. Friston, K., Brown, H. R., Siemerkus, J. & Stephan, K. E. The dysconnection hypothesis. Schizophr. Res. 176, 83–94 (2016).